2015年2月23日月曜日

雪山を楽しむために雪崩講習会は必須(MAMUUTデジタルビーコンの性能に驚愕)


 スノーシューを始めたのをきっかけに、以前から興味のあった雪崩講習会に参加してきました。石井スポーツ登山学校日本雪崩ネットワーク共催の二日間コースです。実技は群馬県の谷川岳天神尾根にて行われました。

一日目は平坦な湯檜曽公園で練習

二日目にロープウェイを使い天神尾根で実技

斜面の積雪調査のため穴を掘ります

 半日の座学だけのものや、ビーコンを使った探索訓練中心の一日コースが多い中で、二日間のコースは稀だと思います。雪崩現象や雪崩地形、安全行動原則、グループマネジメントなど雪崩発生のメカニズムや雪崩リスクの高い状況を理解するとともに、そのリスクをできるだけ少なくするためのマネジメント方法が学べます。いわゆる雪山三種の神器(ビーコン、プローブ、スコップ)の使い方を覚えてレスキューを迅速に行うこと以前に、雪崩に遭わないようにするにはどうするかという部分にも重点が置かれていて、雪山初心者にも大変ありがたい講習内容でした。

MAMMUTのデジタルビーコン

Black Diamondのプローブ

bcaのスコップ(ザックに入ります)

 この三種の神器を揃えるだけで相当な出費です。特にビーコンは最新のモデルだと5万円以上もします。さらに実技の中で、雪質の調査や雪洞作りの際にスノーソーがあるとないとでは大違いだということも体験し、必要な装備はますます増えます。

昔買ったスノーソー

正直今までは、たまにしか雪山に入らないのにここまで費用をかけて本当に効果があるのか半信半疑でした。しかし今回の講習を受講して考えが一変。一メートル以上の深さにある埋没物をビーコンを使って探索するとほぼ真上まで誘導され、なおかつ埋まっている深さが表示されるという精度の高さに驚愕しました。もしビーコンが使えない状況であったら、残留物や地形などのわずかな情報を頼りにプローブを突き刺しながら広い範囲を探らなければならず、発見までの時間は比べようもないくらい長くなります。
 雪崩事故発生の際に生存可能時間内(15分以内と言われている)に自分を見つけてもらうためにビーコンは必須です。さらに、他の人を救うために居合わせた人がこれらの道具を持参していることが生存救出の前提条件になるということが理解できました。雪崩発生の可能性がある雪山に入る人全員がビーコン、プローブ、スコップ等の装備を持ち、十分使い方を理解しているという状況が早く実現することを願いながら帰宅しました。


2015年2月20日金曜日

やればできる 全部自分でやった意匠登録証がやっと来た


 過去に温めてきた色々なアイディアを知財として積極的に特許庁に申請するようにしています。手続きについて調べてみると結構面倒そうですが、基本的には個人でも可能なようです。バイクで使う地酒持ち帰り用トートバッグを自分で作ってみたところすこぶる使い勝手が良く、なおかつ同様のものが特許や意匠に登録されている様子がないため、勉強も兼ねて申請から全ての処理を自分で行ってみました。

 市販の特許関連図書を参考にして手続きを行いましたが、細かなところはやってみないとわかりません。特許庁への手数料納付には普通の印紙ではダメで、特許印紙というものを使用しなければなりません。そんなものがあることすら知りませんでした。近所の郵便局に行っても手に入らず、改めて大きな郵便局まで出かけてやっと購入できました。もともとパソコンで作成した申請文書ですが、その紙の申請書をわざわざ電子化するための手数料を別途支払う必要があることなど、勉強することだらけで昨年6月3日になんとか意匠出願を行うことができました。

 特許庁との文書のやり取りのたびに電子化手数料を取られるくらいなら、今後のために電子申請が行える環境を構築しておいたほうが良さそうです。電子証明書を入手してソフトをセットアップしようとしましたが、仕事で使用しているMacの最新OSに対応していません。仕方がないので久しぶりにWindowsノートパソコンを購入しました。

 補正命令や拒絶査定通知に怯えながら待つこと半年以上。昨日(2月19日)、特許庁から郵便物が届きました。


待ちに待った登録証です。全てを独力で行った意匠登録ですので、とても嬉しく感動しました。


しかしながら問題はここからです。費用と時間をかけて取得した知財権利ですので有効に活用したいと思います。


2015年2月18日水曜日

予想外の撤退 新雪後の玉原ブナ平スノーシュー


 週末にかなりの積雪があったらしい群馬の玉原(たんばら)にスノーシューに行ってきました。今回はピークハントでもないし、楽勝のスノーシューハイクになるかと思いましたが、ルートを間違えたり新雪のラッセルで苦戦したりで時間切れ、予想外の撤退となりました。

玉原は初めてです(かなりの積雪に驚き)

 除雪してある道路沿いの雪の壁は3メートルくらいあります。関東地方とは思えない光景ですが、よくよく考えてみれば豪雪で有名な谷川岳のすぐ近くですから驚くことではないのかもしれません。週末の大雪の後は誰も歩いていないようで、トレースが全くないばかりか新雪がふかふかで、スノーシューが膝近くまで潜ってしまいます。ちょっとした登りになると立って歩けないほどです。

平坦部でこのくらい、斜面だともっと潜ります

 GPSと地図も持っていたのに確認を怠って道を間違えたり、ルート取りが悪く小規模なアップダウンを繰り返したりして計画の半分以下しか移動できていません。冬季無人のセンターハウスに到着した時はクタクタになっていました。

全く除雪されていない無人のセンターハウス

 ここからブナ平に向けて尾根を登り、玉原湿原に降りてくる予定でしたが、尾根の途中で撤退することになりました。今回の反省点としては当たり前のことばかりですが以下の三点です。
  • 夏に来たことのない場所では、もっと地形とルートを頭に叩き込んでおく
  • 数日前の積雪情報があれば、コースタイムの再考が必要
  • 行動開始時間はもっと早く(今回は10時から歩き始めた)
スノーシュー初心者ですので、まだまだ緊張することばかりですが、雪原でオコジョを見つけた時はうれしくなりました。遠くからじっとこちらを窺っているようでした。

この足跡ウサギ? オコジョ?

ブナ林の中を歩いているといろいろな動物の足跡があります。まだまだ足跡からその主を言い当てることができませんが、今回のように本物を見ることができたのはラッキーでした。

 前回の湯の丸山の時はGoProを頭部に装着して撮影しましたが、今回は胸部に取り付けてみました。視線と共にカメラも動いてしまう頭部と違い、胸部の方が安定しているようです。



 GPSの軌跡ログを地図上に表示しました。これを見るとほとんど”山登り”になっていません。ブナ平への尾根の取り付き部分で撤退です。なんとも情けない限りですが、安全第一です。

国土地理院地図にGPS軌跡ログを描画

もう少し雪の締まる三月に改めてリベンジしたいと思います。


2015年2月12日木曜日

花粉症の元凶がどっさり(杉の花)この時期憂鬱です


 十年以上も前に突然花粉症を発症して以来この時期は憂鬱な季節となってしまいました。最近なんとなくくしゃみや鼻水が出るなと思っていたら、もうあの忌まわしい季節が到来したようです。サイクリングで谷津田を走っていると、真っ茶色になった杉の木を目にします。


最初は枯れているのかと思いましたが、実は花粉を満載した花の色なんですね。葉の先端にびっしりと雄花をつけていて、木全体が枯れているように見えます。


触ってみるとブワッと花粉が飛び散ります。もう少し経つと、風で飛び散った大量の花粉で靄がかかったように見える時もあり、なんとも恐ろしい光景です。


 テレビで日本人の五人に一人が花粉症だと言っていました。もはや国民病だとも。いろいろな薬や治療法が出てきていますが、薬は頭がボーッとするし、花粉症ごときで病院に行くのもくやしいため毎年我慢してやり過ごしています。いずれ体の免疫力が落ちて花粉にも抵抗しなくなれば治るはずと言い聞かせていますが、それってもしかして生命活動が維持できなくなるってことかな.....


同じ頃に咲いている梅の花はとっても綺麗なんですけど、杉の花ってちょっとかわいそう。そんなことを考えながらペダルを踏んでいました。


2015年2月10日火曜日

がんばれソニー(以前は欲しいものの宝庫だったのに...最近は何も買ってないな)


 ゼンハイザーのヘッドホン(HD-598)を使用していますが、携帯性が悪いためソニーから新しく発売されたMDR-1Aを購入してみました。

最新のMDR-1A

密閉型でコードの長さも携帯時での使用を前提とした短めになっていて、使用感は問題ありません。まだエージングできていませんが、多少低音が厚ぼったいのが気になります。重低音強調のモデルではないはずですので、もう少し様子を見てみようと思います。

 家でヘッドホンを使いながら、久しぶりのソニー製品の購入であることに気づきました。前回購入したのは何だったかなと考えてみると、5〜6年ほど前の山ラジオでした。ちょうど山に頻繁に行き始めた頃、山で使うのに手頃なラジオを買おうと思っていたら、日本全国の山岳地帯毎に聞こえる放送局がプリセットされたラジオがソニーから発売されたため、携帯ラジオとしては高額でしたが迷わず購入。現在に至るまで便利に使用しています。(この”迷わず”というのがポイントですね。価格ではなく、必要な機能を重視した購買スタイルです。)

山での選局が楽なICF-R100MT

 中高年の登山ブームが起こって久しいですが、このラジオはその人たちの間で売れているのではないでしょうか(そういう自分もまさにその一人ですが)。山でこのラジオを聴いている人を時々見かけます。小型で高機能、優れたデザインでとても満足しています。

 昔からソニーの製品に憧れて、コツコツお金を貯め、やっと手に入れた時は嬉しくてたまりませんでした。ひとつ手に入れても、すぐにまた欲しくなる新たな製品が発表されるため、いつも購入待ちの状態だったような気がします。ほとんど毎年、なんらかのソニー製品を購入していたような..... ところが今回購入したヘッドホンが5年ぶりのソニー製品購入だったとは驚きです。改めて最近のソニーという会社の状況と重ね合わせてみると感慨深いものがあります。

 オーディオに目覚め始めた頃、ソニー製品を買うために働いていたと言っても過言ではないような気がします(ちょっと大袈裟かな)。CD、DAT、MDなどなど新しいメディア(フォーマット)が登場する度に、規格作成をリードしたソニーの新製品を手に入れることが新たなオーディオ世界への扉を叩くことでした。就職したばかりの頃、随分無理をしてソニーのCDプレイヤー一号機(CDP-101)を手に入れたことが懐かしく思い出されます。その後もDATデッキやら、レーザーディスクプレイヤーやら、新しいメディアの機器を購入するときはいつも迷わずソニー製品を選んでいました。

最近まで使用していたDAT-300ES

FM放送のエアチェックが流行っていた頃、カセットテープからDATへのメディア変更はまさにデジタル化の威力を感じさせる出来事でした。記録できる品質が格段に向上したため、今度はステレオチューナーをグレードアップしたくなり、ソニー製のチューナーを購入しました。このチューナーは優れた設計で、今でもマニアの間では高い評価を得ています。

未だ現役のST-S333ESXII

FMの調子が悪くなってしまいましたが、もう修理も受け付けてもらえないためAM専用で使っています。現在はネットオーディオが幅を利かせていて、ほとんどの大手メーカーはオーディオ用のまともなAM/FMチューナーを作っていません。新しいFMチューナーとして大変高額でしたがAccuphaseのT-1100を購入しました。最新のディジタル技術を満載した高級FMチューナーですので性能的には不満はありませんが、苦労してやっと手に入れたソニーの名機の音が楽しめないのは残念です。

 子供が生まれた時にちょうどDV(Digital Videoです、ドメスティック・バイオレ....ではありません)フォーマットのビデオが出始めた頃で、この際にも迷わずソニー製品を購入。当時、小型・高性能デジタルビデオカメラといえば誰しもソニーの名を挙げていた時代です。

パスポートサイズをうたったDCR-PC7

アナログのビデオ編集で苦労していた時にフルデジタルのカメラを手に入れたため、デジタルビデオ編集にはまりました。より良い作品制作のためにジョグシャトル機能を持ったDVデッキ(WV-DR5)を清水の舞台から飛び降りるような気持ちで追加購入し、子供の思い出ビデオの作成に励みました。一つの先進的な製品を購入すると、それにより広がったユーザー体験がまた新たな製品のニーズを掘り起こす良い事例だと思います。この連鎖が、強固なソニーファンを作っていたと思うのは私だけでしょうか。

標準/Mini-DVカセットからVHSへダビングが出来る編集対応ダブルデッキ(下)

 出張でニューヨークに行った時にマンハッタンで見つけた防水のスポーツウオークマンに一目惚れし、FMの周波数が日本と異なることを承知で手に入れたりしました。どこか手に入れずにはいられないような特異な魅力を当時のソニー製品は持っていたような気がします。

アメリカで買ったスポーツウオークマン(FMの周波数が日本と異なる)

 現在のように薄型液晶テレビが幅をきかせる前、大型の横長テレビのヒット商品といえばソニーのベガでしょう。トリニトロンという技術に惹かれ、次に買うテレビの候補はソニー以外考えられませんでした。古くなった28型ブラウン管テレビの買い替え時には、迷わずソニーの36型ベガを購入しました。運送業者が二人でぜいぜい言いながらマンションのリビングに運んできたのが忘れられません。

60Kg以上の重量があったソニーのベガ36型

このテレビを購入してしばらくしたあと、マンションから一戸建てに引っ越した際に当時発売になったばかりの42型プラズマ平面テレビを購入しました。この時はソニーにはまだ液晶やプラズマの平面テレビが無く、選んだのはパナソニックです。ソニーの36型ベガはまだ使うだろうと思って処分しなかったのですが、その後まったく使用せず、家電リサイクル法が出来てしまい捨てる時にえらい苦労しました。処分場に持ち込む際に、自分で車に乗せようとしたのですが60Kg以上あるソニーのベガは一人では動かせませんでした。

 思い出の詰まったソニー製品はまだまだあります。機会があれば電子書籍にでもまとめてみたいと思いますが、あの頃のソニーはどうなってしまったのでしょう。久しぶりに購入したヘッドホンを聞きながら、「がんばれ、ソニー!」と心の中でつぶやきました。



機械部分が真っ先に壊れることが多かったソニー製品


 今現役で毎日使っているソニー製品は山ラジオですが、これもそろそろ購入後7年くらい経ちます。ほとんどが電子式のボタンなのですが、イヤホン・スピーカーの切り替えと誤操作防止用ロックは小さなスライド式スイッチになっています。これらのスイッチはそれほどオン・オフを繰り返すものではありませんが、そろそろ接触が怪しくなってきました。うまく切り替わらなかったり、接触が悪く音が歪んだりといった不具合が出始めました。

 思い返してみれば、今まで購入したソニー製品の最初の故障は機械部分が多かったようです。最初のCDプレイヤーはCDトレイが出てこなくなりました。DATデッキはテープのローディング機構が故障。MDプレイヤーもディスクが取り出せなくなりました。編集対応DVデッキもテープを入れる蓋が開かなくなり、手で開けっ放しにして使っていました。あの頃のソニー製品はどうも機械部分が弱かったという印象を持っています。故障した製品を開けて機械部を覗いてみましたが、たくさんの細かなプラスチック製ギアと細いゴムベルト、そして動きを制御するセンサーが巧みに組み合わされています。優れた設計であることはわかりましたが、耐久性は今ひとつに見えました。

 現在はメモリーオーディオプレイヤーなどのように、可動部分を持たないデジタル家電が増えていますので、当時のような故障はもうないのでしょうね。

(2016年8月29日追記)


2015年2月7日土曜日

机を整理していたら懐かしのPalmが出てきた(知ってるかな〜)


 あまりにも寒いので外出もせず、机を整理していたら引き出しの奥から20年近く前に仕事で使っていたPalmが出て来ました。若い人にPalmなんて言ってもわからないと思いますが、今のスマホやタブレットが流行るうんと前にPDA (Personal Digital Assistant)と呼ばれる携帯情報端末が一斉を風靡していたことがあります。Palmはその代表的な製品で、ソニーなども類似の製品(CLIE)を出していました。

IBMのWorkPad (Palm社のOEM)

アイコンをペンでタッチしてアプリケーションを起動します。手書き文字認識(特殊な書き順でしたが、今も覚えています)で入力したり、ユーザー作成のアプリケーションを追加して機能拡張できます。今のスマホやタブレットに似ていますが、通信機能は持っていませんでした。いや〜懐かしい。単四電池二本を入れてみたら何と起動しました。10年以上も放置してあったのですが驚きです。
 このWorkPadでPDAの面白さにはまり、二代目として本家Palm社の製品を購入しました。下の写真がそれです。こちらはカラー液晶になり、SDメモリーも使えるようになっていました。

Palm社のm515

電源は内臓のリチュームポリマー充電池です。10年以上も充電していませんので、当然電源ボタンを押しても反応はありません。よく見ると前面パネルが内部から押し上げられて隙間ができています。完全に放電し切った充電池が劣化により膨張してパネルを持ち上げてしまったようです。

前面パネルがはがれている
現在たくさんのモバイル機器を利用していますが、入っているLi-Ion充電池には不安が残ります。使われなくなった後、発火性の化学薬品が含まれた電池を何十年も放置して大丈夫なのでしょうか? 小型家電のリサイクルが始まっていますので、まめに持っていくようにしたいと思います。


2015年2月5日木曜日

これは落ち着く 島崎藤村ゆかりの宿 中棚荘と濁り酒


 自宅から220Kmほどの距離がある湯の丸スキー場。スキーや夏山登山で訪れた際は、早朝に出発して日帰りのパターンが多かったのですが、今回初めてスノーシューで湯の丸山に登るため前泊することにしました。小諸界隈の宿をネットで検索していたところ「島崎藤村ゆかりの宿」と銘打った中棚荘を見つけました。


小諸市の谷間の傾斜地に建つ古い温泉宿です。渋い入り口の扉を開けると、いきなりバイクの絵が飾ってあります。むむむと思いながら駐車場に車を止めに行くと、バイク専用の駐輪スペースが設けられていました。宿のご主人はきっとバイク好きに違いないと確信。部屋に置いてあった雑誌や新聞には、宿に来た女性ライダーの格好よさに刺激されて50歳を過ぎてから大型二輪免許を取った女将さんが紹介されていました。ご主人は若い頃乗っていたそうですが、女将さんに刺激されてリターンしたそうです。ご主人がホンダCB750K1、女将さんがカワサキW650にお乗りだそうで羨ましい限りです。


 島崎藤村が小諸で教師をやっていた時代に中棚荘に足繁く通っていたそうです。ロビーには肖像画や文集など藤村ゆかりの品物がたくさんおいてありました。正直言って藤村は中学生の頃に授業で習った「夜明け前」や「破壊」を読んだ程度で、あまりよく知らないのですが、この宿に来てりんご風呂や濁り酒を楽しんでいたと聞くと親しみが湧きます。連泊する機会ができたらロビーの品々をじっくり鑑賞してみたいものです。


 夕食の際に食前酒で出てきたのが藤村が好きだった濁り酒。あまりにも旨かったので、三合も飲んでしまいました。もちろんお土産にも四合瓶を一本購入。家で飲むのが楽しみです。

 ここの温泉は弱アルカリ性で肌がつるつるになります。この季節にはりんご湯になっていて、甘い匂いが漂ってきます。ぷかぷかと浮いているりんごを見ているとつい手に取ってかじってしまいそうです。浮いているりんごがこのあとどうなるのか気になったので仲居さんに聞いてみると、飼っているヤギの餌になるとのこと。無駄にならずによかった、よかった。


 軽井沢には度々泊まりに行きますが、小諸は初めてです。ゆったりとくつろげる雰囲気の中棚荘を見つけることができ、とてもラッキーでした。次はバイクで訪れてみたいと思います。


2015年2月4日水曜日

湯の丸山スノーシュー(GoPro撮影練習も兼ねて)


 夏に一度登ったことのある湯の丸山にスノーシューをしに行ってきました。スキー場のある地蔵峠は気温零下4度。風もあるので山頂はかなり寒そうです。雪山の景色を記録したいと思い、GoPro Hero3+をヘッドバンドで頭部に設置していざ出発。往路はズルして、スキーリフトを使ってしまいました。

なだらかな山頂を持つ湯の丸山

先月裏磐梯でデビューしたばかりのスノーシュー初心者ですので、無理せず安全なコースを進みます。途中、山頂を見上げると雲がかかり強い風が吹き付けていましたが、到着する頃には青空が覗き始めていました。

富士山がはっきり見えました

吹き溜まり以外はよく締まった雪面で、スノーシューも安定しています。ぐんぐん高度を稼ぎ一時間ほどで山頂にたどり着きました。澄んだ冬の空気のおかげで周りの眺望が抜群です。富士山も美しい姿を見せてくれました。風が強く、休んでいるとあっという間に体が冷えてくるので、そそくさと下山を開始します。喘ぎながら登った雪山も、下りは楽しいの一言です。半ば滑りながら快調に下っていきます。

 調子に乗って下っていたら、突然左足が腰まですっぽりと雪に入ってしまいました。空洞を踏み抜いたようです。左足を抜こうとしてもがくと、体を支えている部分の雪まで沈み込んで、全身が雪の下に落ちそうになります。スノーシューを履いたまま足を抜こうとしても、引っかかってしまい抜けません。あまりもがいていると、雪の下の空洞に全身が落ちてしまい、一人で出られなくなりそうです。あせりました。平日で、途中出会った登山者もたった一人きりでしたので、誰かが来るのを待つわけにもいきません。

これしきの穴ですが命取りになります

深呼吸し、対策を考えました。穴の中のスノーシューを手を伸ばして外すことは不可能なため、体がこれ以上落ちないよう上半身を雪面に押し付けた上で、ストックを使って足がはまっている穴を広げることにしました。雪の上で格闘すること十数分、なんとか雪上に立てたときは汗だくでした。こんな些細なことでもまかり間違えば遭難につながるんだと思うと、雪山の怖さを感じました。

頭部のGoProで撮影

 GoProで雪山登山の映像を撮ってみました。GoPro標準のバッテリーを使用していましたが、山頂まであとわずかというところでバッテリーが切れていたようです。頭部に取り付けていたので気付きませんでした。仮に気付いたところで、強風と寒さの中で手袋を外してバッテリーを交換することは不可能だったと思います。今回は残念ながら山頂に到着した時の動画は撮れませんでした。雪山のような低温下ではバッテリーの能力は著しく低下します。大容量バッテリーパックの購入が必要なようです。

 また、カメラをどこに据え付けるかというのも大きな問題です。今回はヘッドバンドで頭部に取り付けましたが、人の頭というのは結構グラグラするため、画像も不安定でした。目に近く余計なものも映らないため、見たままの構図で撮れますが、ぶれないようにする必要があります。次回は胸部に取り付けて試してみようと思いながら、帰宅後のビデオ編集を楽しみました。