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2017年6月27日火曜日

壊れたと思ったハンディGPS(Garmin eTrex SUMMIT HC)が復活!


 登山のために初めてハンディGPSを購入したのは2008年のことです。選んだのはガーミンのeTrex SUMMIT HC。等高線が表示できる純正の詳細地図がまだ高価で、サードパーティ製の英語表記の日本地図データを購入して使っていました。

最初に買ったガーミンeTrex SUMMIT HC


地図表示できるGPS機器はサイクリングの必需品


 登山は事前の準備や登山口までの移動に手間がかかり、そう頻繁には出かけられません。山に行けない時のトレーニングになるだろうと思い、ロードバイクに乗り始めました。自転車なら、天気さえ問題なければ、思い立った時にすぐに出かけられます。いつの間にか主従が逆転し、暇さえあれば自転車で遠出するようになっていました。ハンドルバーにハンディGPSを取り付けておけば、知らない場所でも現在位置を地図上で確認でき、一日の走行軌跡も記録できます。谷津道を探検しながらのサイクリングには、なくてはならない機器になっていました。

ハンドルバーにマウントしたハンディGPS

二年ほど経った頃、使用中に時々電源が落ちる症状が出始めました。知らないうちにハンディGPSの電源が切れていて、その後の走行軌跡が残っていないということが発生。最初は電池の接触不良を疑い、電極の裏にゴムを挟んで電池と電極を密着させてみたり、電池が動かないようテープを巻いてみたりしましたが効果がありません。

電源は単三電池二本、ぴったりと収まっている

そのうちにハンディGPSを軽く振ったりするだけで電源が切れるようになってしまいました。路面の段差で自転車が瞬間揺れただけで電源が落ちてしまうため、継続使用が不可能な状態に。電池とケース電極の接触の問題ではなさそうなので、機器内部の半田付け部分にひび割れでも生じてしまったのだろうと諦めました。高圧タイヤを履いているロードバイクのハンドル付近はすごい振動があります。登山で使用するハンディGPSですから、強い振動を継続して受けることを想定して設計していないのでしょう。二年間のロードバイクの振動に耐え切れなかったようです。やはり登山用や自転車用などの専用機器を使用するのが賢明なのかと反省しました。


利用目的に合わせた専用GPS機器に買い替え


 サイクリング時に手放せなくなったGPSを買い換えることにしました。選んだのはサイクルコンピュータ機能も内蔵した自転車用のEdge800Jです。さらに登山用にeTrex 30Jも入手しましたので、えらい出費です。

持っているハンディGPS

以前使っていた登山用GPSでは、自転車のケイデンスや心拍数などのデータは取れませんでしたが、サイクリング専用のEdge800JならGPS走行軌跡と共に記録されます。購入後すでに五年ほど使用していますが、振動によるトラブルも皆無です。やはり専用に設計された機器には安心感があります。登山用に使っているeTrex 30Jは準天頂衛星「みちびき」も受信可能ですので、上空が開けていない谷間などでもより少ない誤差で現在位置を特定できそうです。オートバイのツーリングや旅行などで軌跡ログだけを単純に残したい時には、安価で小型のGP-102を胸ポケットに放り込んで一日活動しています。価格も4千円程度で入手できるため、気軽にGPSデータを残すのに利用できます。


故障したeTrex SUMMIT HCを分解してみた


 普段使用するGPS機器が揃いましたので、故障したeTrex SUMMIT HCを分解してみることにしました。ユーザーが分解するとメーカー保証の対象外となってしまいますが、保証期間はとっくに切れています。ネットの情報を参照しながら、スクラップ覚悟でバラしてみました。

1. まず裏の電池ブタを外します


電池を入れる際に開け閉めする裏蓋を外します。ここにネジでもあるだろうと思ったのですが、何もありません。上部のUSB端子のカバーも兼ねている、ケース外周を覆っているゴムが怪しいと睨みました。USBカバーを少しめくると、粘着テープで貼り付けられているだけだとわかります。



2. ケースを一周しているゴムカバーを剥がす


両面テープでケース外周に貼り付けられているゴムカバーを剥がします。破らないように注意深く剥がしていきます。

 ゴムカバーの裏には突起が付いていて、これが本体横の操作ボタンを押します。元に戻す際にはボタンとこの突起の位置がずれないようにします。


3. 両面テープを剥がす


ゴムカバーの下には、両面テープが使われています。この両面テープも剥がしてしまいます。再利用は不可能ですので、途中で切れても気にせず剥がしてしまいましょう。出荷されてから時間が経っていますので、接着面がベトベトです。GPSの画面にベトベトがつかないように作業します。



4. 防水用のビニールテープも剥がす


両面テープの下にはさらにビニールテープが巻かれていました。これでケースの防水をしているものと考えられます。一般的な電工用のビニールテープに比べると幅が細く薄手です。これも再利用は難しいので、適当に剥がしてしまいます。




5. 上下のケースを止めている爪を押しながら分解する


ここまでくるとケースの上下を止めているのは、左右に2箇所ずつと下部に1箇所ある爪だけです。精密ドライバーなどで爪を押しながら、ケースの上下を分離していきます。爪を押し込みすぎると折れてしまいますので、軽く押しながら上下のケースを離すように開けていきます。意外に簡単に開きました。


6. 完全に上下二つに分解できる


爪を押しながら上下のケースを開くと完全に二つに分かれます。電池ケースと回路基板の間に電線はありません。組み上げると端子が接触して通電する仕組みだったんですね。これでは振動に弱いはずです。
 これで分解は完了です。静電気に弱い精密電子回路ですので、冬場にセーターなどを着ての作業はやめましょう。



さて、電池ボックスと回路基板の接続をどうするか


 ケース下部の電池ボックスと上部の電子回路基板との接続は、ケースを組み上げると端子が接触するようになっています。電池側はステンレス?のバネ、電子回路基板側は金メッキされた端子があり、通常の使用では問題はなさそうです。

電子回路基板と電池ボックスの接続は接触式だった

電子回路基板側の金メッキ端子を良く見ると、接触していた部分が凹んでいて、金メッキが剥がれてしまっています。自転車の振動を受け続けて、接触していた端子が金メッキ部分を削ってしまったものと思われます。

電子回路基板側の金メッキ端子が削れている

電池ボックス側のステンレスバネを曲げて、少し位置をずらしてやれば、金メッキが残っている部分に接触してくれそうですが、いつまた接触不良が起こるかわかりません。いっそのこと電線で直接接続してしまえば心配も減ります。壊れたものと一度は覚悟した機器ですので、失敗しても諦めもつきます。基板に直接半田付けするという荒療治を選びました。

できるだけハンダが盛り上がらないように電線を直接半田付け


やった〜 壊れたと思ったGPSが復活した!


 配線に使った電線を電子部品で挟み込まないよう注意しながら、ケースの上下を閉めます。電池より上側に、銀色のGPSアンテナと思われる部分より下側に電線が収まるようにしました。端子部分にハンダと電線の厚みが加わりましたので、多少閉まりにくいですが、なんとか上下ケースの爪を止めることができました。

ケースを完全に占める前に通電テスト

テープで上下のケースを完全に閉じる前に、電池を入れて通電テストします。ボールペンなどで電源ボタンを押してやると、何事もなく電源が入りました。この確認が済めばOKですので、分解の時と逆の手順で組み立てます。一般に売っているビニールテープでは幅が広すぎるので、ハサミで1cm幅くらいにして一周隙間のないように巻きつけます。この時、ケースの上下に隙間ができないように上下をしっかりと押さえながら巻きましょう。さらに両面テープも同様に巻きつけ、その上にゴムカバーを巻いて出来上がりです。

 ゴムカバーについている操作ボタンを押してみます。ビニールテープが厚くなったせいか、操作感がだいぶ硬くなっていますが、仕方ありません。使用しているうちに馴染んでくるものと思います。電源投入後、叩いても、ケースを力任せにひねっても瞬断は起こりません。完治したようです(^ ^)


電源の瞬断はこの機種の持病だった


 ネットで検索して見ると以前のeTrexシリーズでは、電源の瞬断に関する記事が山のように出てきました。どうもこの機種の持病のようです。電子回路基板のある上部と電池ボックスのある下部を配線することなく組み立てられますので、効率の良い生産が可能だと思いますが、板バネの力で接触しているだけですから、振動や腐食に対してはどうしても弱くなります。自転車用のEdgeシリーズは振動に対しての対策が十分に取られているようで、瞬断トラブルは聞いたことがありません。やはりそれぞれのアクティビティ用に作られた専用機器が安心だということがよく理解できた今回の出来事でした。さあ、復活したハンディGPSは何に使おうかな(^ ^)/



自作マウントで好きな自転車に取り付け


 振動に対して一番デリケートな電池ボックスの接点を、ダイレクトに電線で接続してしまったので、耐振動性能は格段に向上したと思います。持っている三台の自転車のどれにでも好きなGPSが取り付けられるようにアダプターを3Dプリンターで自作してみました。せっかく修理できたeTrex SUMMIT HCを、TPOに応じて好きな自転車に取り付けられるようになり、ますます快適な自転車生活を送っています。

SUMMUIT HCのマウント取り付け部をEdgeシリーズと同じにするアダプターを自作

(2017年11月3日追記)



2017年5月1日月曜日

春のサイクリングで楽しめる土手の菜の花ともお別れか?


 先日長柄ダムまでサイクリングに行った時に、市民農園と書かれた畑に小さな白い花がたくさん咲いているのを見つけました。花や茎の形はどう見ても菜の花なのですが、花が真っ白です。

形は菜の花そっくりだが白い花が咲いている


白い花の正体は大根の花でした


 自転車を降りて近づいてよく見ると、十字についた四枚の小さな花びらも菜の花そっくり。すぐ横の畑を見ると、見慣れた黄色い菜の花も咲いていて、ますます不思議になりました。

すぐ横には見慣れた黄色い菜の花が咲いている

帰宅後に調べて見ると、白い花の正体は何と大根でした。菜の花と同じアブラナ科の植物で、同じ形の花を咲かせるとのこと。野菜として根を食用にする場合は、花が咲く前に収穫してしまいます。そうしないとスが入って味が落ちるそうです。道理で普段の大根畑では見かけない花です。たまたま種を取るために花が咲いたままにしていた畑だったようです。そう言えば「だいこんの花」という古〜いテレビドラマのオープニングで、毎回『細かな白い花...』という朗読がされていたように記憶しています。菜の花と大根が同じ仲間だとすると、普段花や茎を食べている菜の花の地下にも大根の根のようなものができているのかと空想してしまいました。


菜の花のせいで堤防が危機?


 後日、日経新聞(2017年5月1日朝刊)の見出しを見て驚きました。「菜の花 堤防壊す?」と書いてあります。記事を読んで見ると、菜の花の根が大きく成長して腐った所にミミズが集まり、そのミミズを捕食するためにモグラが穴を開け、そのモグラを捉えるためにキツネがさらに穴を広げるという食物連鎖のきっかけを菜の花が作っているそうです。太い根では周長30センチ(直径9.5センチ)近くもあったということですから、まさに細めの大根くらいはあります。

大根のように太く成長した菜の花の根が食物連鎖を引き起こして堤防に穴があく(らしい)

奥行きが10メートル近くもある穴も見つかっているそうで、これでは大雨の際の堤防の強度にも影響します。菜の花を無くして芝生に植え替えている河川も出てきているようで、毎年春のサイクリングで楽しんでいる江戸川の菜の花のことが気掛かりになってきました。


今年も楽しませてくれた江戸川の菜の花


 江戸川以外でも大小の河川の土手には菜の花がいっぱいです。自然に生えているものもあれば、地元の人たちが種をまいて世話をしているものまであり、土手一面に見事に咲いている菜の花の中を走るサイクリングは最高の気分です。

江戸川右岸、常磐自動車道手前の土手の菜の花は本当に見事

これが全部芝生になってしまったら、さぞかし味気ない春のサイクリングになってしまうことでしょう。堤防の強度に影響を与えず、菜の花を残す術はないものか悩んでしまいます。さすがにキツネが生息しているのは河川の中流から上流の地域だと思いますので、常磐自動車道の南側は大丈夫なのかもしれませんが、肉食のイタチをたびたび目撃したことがあります。イタチもモグラを捕るために土手に穴を開けたりするのか気になります。

 下は今年の江戸川サイクリングロード沿いの菜の花の様子を収めた動画です。将来「かつて江戸川の堤防に咲き乱れていた菜の花」なんて紹介がされないよう、祈る気持ちで動画を見直しました。




2017年3月21日火曜日

震災後六年 今年は参加したいツール・ド・東北


 東日本大震災から早くも六年が経ちました。被災地の復興を願って2013年から始まったツール・ド・東北には第一回と第二回の二年連続で参加することができました。まだかさ上げ工事も本格化する前で、地震と津波の爪痕が残る町並みを走るときには心が痛み、建ち並ぶ仮設住宅の前で一生懸命に応援してくれる地元の人々の姿に涙がこみ上げて来たのを覚えています。2015年と2016年は都合で参加できませんでしたが、震災六年後の今年は是非参加したいと思っています。


第一回ツール・ド・東北は11月開催だった


 二回目から現在に至るまでツール・ド・東北の開催日は9月中旬になっていますが、初回は11月3日でした。千葉県在住のサイクリストにとって11月の宮城県を走るのは初めてで、どんなウェアを着たらいいのか悩みましたが、この年は平年より暖かい日が多く、日中は暑さを感じるほどでした。

2013年11月3日開催の第一回ツール・ド・東北スタート直前

普段100キロ前後の日帰りサイクリングを楽しんでいましたが、イベントに参加するのは初めのため、一番短い60キロのグルメフォンドにエントリー。平坦な千葉県をマイペースで走っていましたので、高低差の多いリアス式海岸沿いを走るのにかなり不安がありました。

一番短い距離のグルメフォンドに参加

地図でルートを確認すると一番高い場所は200メートルを超えています。かなりビビりながら参加しましたが、実際には標高90メートルほどのトンネルを抜けるため、途中で足をつくこともなく、なんとか登り切ることができました。むしろルート後半にある北上川沿いの長い平坦路を、ずっと向かい風で走り続ける方が苦しかったことを覚えています。9時少し前にスタートし、12時前にはゴールしていましたので、エイドでの休憩時間も含めて60キロを約3時間で走ったことになります。周りのサイクリストに刺激されたおかげで、初心者の親父サイクリストとしては上々のペースでした。


二回目は100キロの北上フォンドにエントリー


 初回に上々のペースで走れたことに気を良くして、二回目の2014年は100キロの北上フォンドにエントリーしました。北上川を渡って海沿いを北上し、神割崎で折り返すルートです。

2014年9月14日開催の第二回ツール・ド・東北

前回参加のグルメフォンドのルートに、新北上大橋から神割崎までの往復40キロが追加されています。この一年で普段の走り込みにも力が入り、二回目に参加した100キロは初回の60キロより楽に感じました。

新北上大橋から神割崎までの往復が追加された北上フォンド


被災地の状況を目に焼き付けながら走るイベント


 車ではあっという間に通り過ぎてしまう景色も、自転車ならじっくりと目にすることができます。風を受け、周りの埃や匂いまで感じながら走れば、さらに現地の状況が身近に。被災地の状況と復興の進み具合を体で感じるにはもってこいのイベントではないかと思います。

津波で倒れたビルの横を走り抜ける(女川町)

被災地の状況はテレビで繰り返し映され、見慣れた光景のはずですが、実際にその場所に立って直に目にすると全く異なる景色に見えました。倒れたビル、折り曲げられたガードレール、舗装が剥ぎ取られた道路など、テレビの画面を通して見るものとは明らかに異なる被災地の状況です。

海岸沿いの道路は相当の被害があったと想像できる(雄勝町)

いたるところに掲げられた津波到達地点の看板を見るたびに、その時の状況を想像してしまいます。こんな高い場所まで津波に襲われたらひとたまりもありません。

信号機のすぐ下にまで達した津波の高さ(石巻市内)


イベントのルート以外にも足を伸ばしてみたい


 受付のためイベントの前日には石巻に入ります。受付自体はすぐに終わりますから、その後は翌日のルートでは走らない場所を自転車でまわってみました。甚大な被害を受けた石巻市内や海岸沿いを走り、広い更地の間に真新しい建物がポツリポツリと建っている不思議な光景を目に焼き付けました。

日和山公園から見た旧北上川と石巻湾

高台にある日和山公園から眺めた光景は忘れられません。倒れた墓地の墓石がきれいに積み上げられていました。草ぼうぼうの更地の中に、被災者を鼓舞する復興のスローガンが掲げられていました。

復興のためのスローガンが掲げられている


美味しいものを食べることも復興の応援


 第一回目にエントリーしたのが「グルメフォンド」です。なんでグルメなんだろうと思っていたら、エイドステーションに到着して納得しました。地域で愛されている郷土料理や新鮮な地元食材がてんこ盛りです。

サンマのつみれ汁とあなご飯

女川町のサンマのつみれ汁に、雄勝町のホタテ、神割崎のシーフードカレーなど、それぞれのエイドステーション毎に特色のある食べ物が提供されます。

ホタテのバター焼き

ここで初めて経験した料理も多く、地域の名物料理を知ることができました。帰宅後にネット通販で購入することもでき、少なからず地域の復興に役立つことになると思います。


宿泊場所の確保が問題


 前日の受付と、当日のスタート時間を考えるとどうしても開催日前日に現地に入り、その日の宿泊が必要になります。初回で約1,300人、直近では3,700人余りの参加者がいますので、宿泊場所は大きな問題です。近くのホテルや旅館はあっという間に予約でいっぱいになってしまいます。第二回からは地元の一般住宅に宿泊させていただく民泊や、出発地点の石巻専修大学の敷地内にテント村も用意され、選択肢が増えました。

石巻専修大学内に設置されたテント村

テント村は翌朝のスタートには便利ですが、前日の夜は美味しいものを食べて暖かい布団で体を休めたいものです。多少遠くてもいいので旅館やホテルを探しました。予約が取れたのは、一年目が南三陸町のホテル、二年目が登米市のホテルでした。どちらもスタート地点である石巻専修大学まで40キロ弱の距離がありますが、三陸自動車道の無料区間を使えば一時間かからない距離です。開催日である日曜日の早朝は、渋滞することもなく快適に石巻専修大学にたどり着けました。

第二回参加の際に宿をとった登米市には歴史的建造物がたくさん(登米町教育資料館)

多少離れた場所に宿をとってみましたが、初めて訪れた登米市には明治時代の洋風建築がたくさん残っていて、期せずしてこの土地の勉強もできました。


六年経った被災地はどうなっているだろう


 2013年に初めて訪れた石巻は、海に近い平野部には一面の更地が、内陸の高台にはいたるところに仮設住宅が広がっていました。ルート途中で並走しているはずの石巻線は、レールが流されたまま。被災地の復興を応援するために開催されたツール・ド・東北ですが、仮設住宅の前で一生懸命に声援を送ってくれる被災地の皆さんを見ながら走っていると、どちらが応援されているのかわからなくなり目頭が熱くなりました。最後に訪れたのは第二回の2014年ですから、それから三年。今はどうなっているのかを自分の目で確かめたいと思っています。5月中旬から先着順での受付のようですから、開始日を見逃さないようにしなければ。


GPSログとGoogle Earth Proでルート紹介動画


 2014年に参加した北上フォンド走行時のGPSログを元にして作成したGoogle Earth Proのツアー動画をベースにルート紹介動画を作ってみました。どんな場所を走るのか、初参加の方々にお伝えできれば幸いです。




2016年3月4日金曜日

東日本大震災後に自転車で撮った近所の写真を改めて見直してみました


 あの大震災からもう五年が経ちます。地震発生当時は出張先の大阪から帰る途中で、静岡付近を走る新幹線の中でした。トンネルの中で突然車両が停止し、長い揺れを感じながら一時間以上もそのまま。運転再開後も発進と停止を繰り返し、五時間遅れの夜八時にやっと東京駅にたどり着きました。そこから先の電車は全て運休で、駅舎内は人でいっぱいです。周辺の道路を埋め尽くした車はピクリとも動かない状態のまま。緊急車両のサイレンが虚しく響く中、大勢の人たちが無言で帰宅を急いでいました。地震による目立った被害は出ていない首都圏でしたが、いとも簡単に社会が麻痺するのを目の当たりにしました。徒歩で船橋の自宅にたどり着いたのは空が明るくなり始めた頃です。

 震度5弱の揺れで済んだ自宅に被害はありませんでした。家族も無事で、水や電気などのライフラインにも支障はありません。ホッとしながらもテレビから流れてくる映像に驚きの連続でした。その後しばらくの間、慣れ親しんだサイクリングコースを走る度に目に入る地震の爪痕を写真に残してきました。被害のない自宅からさほど離れていない場所でも、地盤の違いからかかなり大きな被害が出ているところがあります。五年経って改めてその時の写真を見直してみました。

利根川支流の堤防上の道、地割れで走れなくなっていました

 川の下流域は地盤が軟弱なのか、かなりの被害が発生していました。利根川の両岸の堤防にも所々亀裂が入り、今大雨が来たらやばいだろうと心配になるような状況です。この地域の民家は古い農家が多く、大半の家の屋根瓦が崩れ落ちています。雨対策のためブルーシートで屋根を覆った民家があちらこちらに点在していました。

屋根が落ち、ブルーシートをかけた民家が点在

東京ディズニーランド近くの浦安へ行ってみると、電柱が斜き地下から吹き出した砂が道路上に散乱しています。道路が波打っていたりマンホールが路面から浮き上がっている場所もあり、ところどころ通行止になっていました。

電柱が斜めになっている浦安付近

首都圏のベッドタウンとして急速に発展した浦安には真新しい家が立ち並んでいますが、液状化で家が傾いたりライフラインが全て使えない状態になっていました。どの家も応急の対応に追われていたようです。

新しい住宅が立ち並ぶ浦安、液状化後の対応に追われています

浦安のすぐ横を走る首都高湾岸線を横切る歩道橋を渡っていたら、広大な道路上を車が一台も走っていません。3月11日の揺れで一旦全線通行止めになった首都高ですが、湾岸線の葛西〜新木場区間は22日まで補修のため通行止めが続きました。物流の大動脈としてひっきりなしに大型トラックが行き交うこの道に一台も車が走っていない光景を見たのは初めてです。

工事関係の車両しかいない広大な首都高湾岸線葛西付近、初めて見る光景です

江戸川サイクリングロードからよく見える東京スカイツリーにも足を伸ばしてみました。当時はまだ開業前で、大きなクレーンが上部に乗ったままのタワーがどうなっているのか気になりましたが、さすが日本の技術の粋を集めた建造物です。何事もなかったかのように工事が継続されていたのには驚きました。

完成間近の東京スカイツリー、大震災でも無事でした

 こうして当時撮影した近所の写真を改めて見てみると、震度5〜6強の揺れだった東京や千葉県でも場所によって被害の程度が大きく異なることがわかります。さらに揺れによる直接の被害がない場所でも、その二次災害として液状化による上下水道の停止や電気、ガスの供給停止などライフラインに甚大な被害をもたらし、その後の生活に多大な影響を与えました。

 公共交通機関が安全を最優先するために一斉に運休したことにより、代わりに使われた車が首都圏のターミナル駅付近に殺到して見たこともない大渋滞が発生しました。最近では大雨や爆弾低気圧などの異常気象発生時に、安全を考慮して運休や間引き運転を決めた鉄道が却って混乱の原因になるケースがありました。ある程度予測の可能な気象現象の際にもこれだけの混乱を引き起こしているのですから、突然やってくる大地震の場合はさらにレベルの違う備えと対応が必要だと感じました。


被害の大きかった福島・宮城も訪問してみました


 後日、最も震源に近かった福島県や宮城県を訪問するチャンスが出来たため、少し足を伸ばして被災地を訪れてみました。

 福島県相馬市を訪れたのは震災の一年半後です。最短距離である常磐自動車道は原発事故の影響で通行止めが続いていたため、内陸を走る東北自動車道からアクセスしました。山間部を越えて海に近づくにつれて景色は荒涼たる一面の平野になります。草がぼうぼうと生えていてまるで昔からの荒れ地に見えますが、よく見ると建物が流された家の土台や折れた道路標識などが残っていて、以前ここが住宅地や市街地であったことを物語っています。倒れた松川浦漁港の道路標識の先に、有名な松林が跡形も無く流された砂州を目にして改めて津波の恐ろしさを感じました。

道路標識が津波で押し倒された福島県相馬市の松川浦

 第一回のツールド東北に参加して宮城県石巻市の被災地を自転車で走り抜けることもできました。すでに大地震発生から二年半以上も経っていましたが、倒れたビルがそのまま残されているのを見て津波の威力を思い知らされました。住宅を失った地元の皆さんが仮設住宅の前で手を振って応援してくれる姿に、こちらの方が力をいただいているようで胸が熱くなったのを覚えています。

ツールド東北で駆け抜ける女川の街、津波で倒れたビルがそのまま残る

 翌年の第二回ツールド東北にも参加し、車で帰宅する際にやっと通行できるようになった国道6号を走ってみました。放射線量がまだ高く、バイクは走ることはできません。車も特別に許可を取得した場合を除いて途中で停車することは許されず、写真を撮ることもできませんでした。福島第一原発近くの浪江町、双葉町、大熊町に入って目にした光景は今でも忘れられません。国道沿いのコンビニ、ガソリンスタンド、食堂などが全て地震発生時のままの姿で残されていました。まるで映画のセットのような光景です。原発への道路封鎖を監視している警備の人以外、国道沿いには誰もいません。過疎で住民のいなくなった村とは異なる、本当のゴーストタウンを見た思いでした。

 東北地方の桁違いの被害状況に胸を打たれながらも、あまりにも脆弱な首都圏で次の災害にどう備えるべきなのか思いを巡らせるきっかけになりました。


五年が経過して


 つい最近、千葉県柏市の大堀川沿いをサイクリングしていたら放射線量が基準値を超えているため河川敷への立ち入りを禁止する看板を目にしました。

柏市の大堀川に放射線についてのお知らせが今も出ている

福島の原発から遠く離れた千葉県ですが、事故直後の風で柏市周辺にかなりの放射性物質が飛来したそうです。わずか20〜30キロしか離れていない自宅周辺では全く騒ぎになっていませんが、柏市では震災直後から除染作業やら、廃棄物の処理やらで色々大変な事態が続いています。

 今もこうして災害の爪痕が残っている場合は何年経とうが忘れることはありませんが、大きな被害のなかった自分の身の回りでは当時感じた災害への備えの重要性が忘れかけられているようです。保存用の飲料水も当初は一年おきに取り替えていましたが、今はすっかり交換を忘れています。非常持ち出し袋も家庭に合わせたものを準備しようと思ったままで、未だに必要なものが家の中にバラバラに置いてあります。そうこうしているうちに次の災害がやってきてしまうんですね。反省しきりです。


2015年12月6日日曜日

たまには都会でサイクリング 神宮外苑のイチョウ並木をGoProでマルチカム撮影


 いつも千葉の田園地帯を谷津道探検サイクリングと称して走り回っていますが、たまには都心部の紅葉でも見に行こうかと千葉から西に自転車を走らせてみました。イチョウ並木が見頃だと聞き、神宮外苑を目的地に出発です。前日の強い風のおかげで空が澄み渡っています。出発してすぐに富士山が綺麗な姿を見せていました。

千葉からこんなにはっきりと見える富士山も珍しい

国道14号を使うと都心へ一直線です。交通量が多くて、ついつい自動車のペースに引き込まれてしまうため疲労は溜まりますが、あっという間に皇居の横を通る内堀通りに到着です。皇居乾通りの一般公開が12月5日から始まっているらしく、東京駅から皇居まではたくさんの観光バスや訪問客でごった返していました。取り締まりの警察官もたくさん出ていて、騎馬警官の勇姿を大勢のカメラマンが取り囲んでいます。

警備に当たる騎馬警官、かっこいい

皇居から霞ヶ関の官庁街や国会議事堂、首相官邸を巡り青山2丁目で神宮外苑の入り口に到着です。途中の官庁街にあるイチョウも見事な黄色に染まっていました。最近の世相を反映してか、至るところに警官の姿があります。物騒な世の中になったものです。

神宮外苑イチョウ並木の入り口(青山2丁目)

イチョウ並木に入ると駐車場待ちの車が車道に溢れ、歩行者も写真を撮るために車道まではみ出してカメラを構えています。歩道も人で溢れかえっていました。車道を素早く移動でき、駐車場の心配もなく、いざとなれば歩道を通行することもできる自転車で来たことは正解だったようです。効率よく神宮外苑内を巡ることができました。

イチョウ並木の歩道も歩行者でいっぱい

 実は神宮外苑のイチョウ並木を訪れるのは初めてです。どんな場所か記録に残そうと思い、自転車に二台のGoProをセットし、走行中の前方と後方を同時に撮影しました。

前方はハンドルバー下にGoPro HERO3+をセット

後方はリアハブ軸にGoPro HERO4 Sessionをセット

一台のカメラではあっという間に通り過ぎてしまう景色も、後方を映す二台目のカメラのお陰で長い時間映像として記録できます。編集には工夫が必要ですが、マルチカム撮影の利点を活かせば自転車でもじっくりと風景の撮影ができそうです。「神宮外苑ってどんなところ?」という初めての人向けに編集してみました。


撮影した場所は下の地図のルートです。青山2丁目の信号から北に伸びる300メートルほどの直線路が有名なイチョウ並木です。苑内の雰囲気を知ってもらうため、その奥にある周回路も含めて動画に収めてあります。


 帰りは皇居の千鳥ヶ淵に立ち寄り、永代通りを走って帰宅しました。大きなタワーマンションが立ち並ぶ隅田川下流の光景を見ているとウォーターフロントという言葉が浮かんできます。新しい街にふさわしい機能的で安全快適な道路を整備して欲しいものです。

永代橋近くから隅田川を運行する遊覧船を見学

久しぶりの都心部サイクリングでしたが、やはり交通量の多い幹線道路は気を使いました。自転車専用レーンの設置など、少しづつ改善されているようですが、それもまだまだ細切れでしかありません。歩道側にあったり、車道側に設けられていたり、道路の片側にいきなり自転車用の対面通行路が現れたりとまるで一貫性がありません。これでは安心して長い距離を走ることは不可能です。自転車でどこまでも快適に走ってみたいという夢が叶うのはいつになるのでしょうね。


2015年10月1日木曜日

NHK BSでやっている「にっぽん縦断こころ旅」の隠れファンです


 俳優の火野正平さんが個性的なファッションを身にまとい、ヒーヒー息を切らしながら自転車旅をする番組「にっぽん縦断こころ旅」のファンになってしまいました。自分が自転車乗りだからかと言えば、ちょっと違うような気がします。チャンネルを切り替えていた時に偶然見つけた時の第一印象は「なんか変な番組」というものでした。”チャリオ”と名付けられたロードバイクで田舎道を走る火野さんの後ろ姿を、後続の自転車に取り付けたビデオカメラから撮影したシーンが中心の紀行番組です。長い登り坂が続くと文句を言い出す火野さん。快適な下り坂では『人生下り坂サイコー!』と叫び、滅多に聞けない火野さんの歌まで飛び出します。さすがBS、こんな番組まであるんだというのがその時の正直な感想でした。
 その後、時間が合う時にたまに見るようになると、徐々に番組の趣旨が理解できるようになりました。回数を重ねていくうちに、次第に次の放送を楽しみに待つようになり、今では見逃さないように録画までして楽しんでいます。一体何に心を掴まれたのか、自分なりの分析をしてみました。

秋の旅シリーズがスタートしたばかりです(番組とは関係ありません)

「にっぽん縦断こころ旅」の面白さ


 子供の頃、電車の運転手になりたいと思っていました。理由はいろいろなところにいけるから。でもよくよく考えてみたら電車は行く場所が決まっているし、大抵は同じ場所を行ったり来たりしているだけです。日本全国から届く視聴者からの便りを基にして、北海道から沖縄まで旅をする「こころ旅」は多くの大人たちが夢見ていたいろいろなところを旅してみたいという夢を叶える番組なのかもしれません。

  • 視聴者個人の全く私的な思い出の場所を訪問
 視聴者の心の中にしまわれた思い出の場所「こころの風景」を火野さんが自転車で訪れるというのが基本コンセプトです。視聴者個人の全く私的な思い出話しの上に成り立っていますが、見ている人たちにも『あるある』と思わせる内容をうまく選んでいるのでしょう。投書に多少無理な部分があったとしても、間髪入れずに火野さんが突っ込んでくれるので、視聴者は安心して見ていられます。

  • 移動手段は自転車
 電車でもバスでもない適度な速度の自転車旅というのがポイント。途中で輪行のため電車やバスも利用しますが、最後は必ず自転車で火野さんにヒーヒー、ハーハー言ってもらった後に目的地に到着(番組中では『トウチャコ』と言っている)することに意義があるようです。
 どこにでも入って行ける自転車の小回りの良さと、道中の景色や草花、小さな生き物にも目を配れる適度な速度がバス旅番組などとは異なります。自然と道草が増えますが、そこがまた単なる自転車旅ではない面白さです。

  • 火野正平さん
 何と言っても火野正平さんを起用したところが肝でしょう。昔浮名を流した俳優が還暦を過ぎた今、ハーハー言いながらペダルを漕いで坂を登っている姿は視聴者の胸を打ちます(?)。中高年の健康志向ブームという現在の潮流も手伝って、火野さんの後ろ姿に自分を重ねて見ている人も多いはずです。

 珍しい草花や小動物を見つけた時の火野さんの子供のような顔、木の実を見つければとりあえず口に入れてしまう冒険心、スタッフが怖がって近寄れない蛇も簡単に手づかみしてしまうヤンチャさ、どれも火野さんの自然に対する造詣の深さを感じます。

 若い女の子を見つけて自分の歳も顧みずに大胆に近づいていく時と、おばちゃん達が握手を求めて次々にやってくる時の態度の違いがあまりにも大き過ぎて笑えます。大きな橋を渡る時に見せる泣きそうな顔が、女の子を見つけた時に見せる顔とは別人のようです。

  • ちょくちょく顔を出す撮影チーム
 バス旅や鉄道旅番組では撮影スタッフはまず出てきません。こころ旅ではそれこそ毎回のように出てきます。仲間でツーリングしているという雰囲気が全開です。火野さんのすぐ後ろにカメラマン、次に音声、その次はメカニックでしょうか。最後尾は監督かなと想像しています。火野さんを含めて5人のグループ走行です。

 火野さんの自転車にはGoProが取り付けられていて、火野さんの顔を撮影しています。後ろの自転車に取り付けられたデジタルビデオカメラの映像が番組の中心になっていますが、振動の多い自転車での撮影は相当苦労されていると思います。かなりしっかりとした固定器具がハンドルに取り付けられているのを見ました。GoProの映像に切り替わると色調が変わり、ローリングシャッターによる画像の歪みが目立ちますが、自転車の走行時に邪魔にならないようにこのアングルで撮影するにはこの方法が一番なのでしょう。今自分がやっている撮影方法と同じで、自信が持てます。なにしろプロと同じ方法ですから。

  • ほぼ毎回出てくる食事シーン
 旅番組の常で、旅先での食事シーンは重要です。こころ旅のちょっと違うところは、食べ物の内容より食堂の人たちとの交流や店の雰囲気が中心になっているところでしょう。その証拠に、メニューにオムライスかスパゲティナポリタンがあれば、火野さんは必ず注文しています。普通の旅番組ならそんなもの食べているところは絵になりませんもんね。さらにナポリタンにタバスコをしこたま振りかけ、火野さんがむせるシーンでは周りのスタッフが大笑いしています。こんな旅番組、他にはありません。

  • テーマ曲がいけてる
 この番組を見るようになるまで知りませんでしたが、池田綾子さんという方がテーマ曲を歌っています。番組の映像にマッチしたとても良い曲です。さらに他では滅多に聞けない火野さんの歌が流れます。そういえば火野さんも歌ってたんだよなーと思い出させてくれる貴重な番組です。


 9月から四国徳島県をスタートに秋の旅シリーズが始まりました。この時期はサイクリングには絶好の季節ですが、四国の道路は高低差が大きく、火野さんがどんな文句を言いだすか毎回楽しみに見ています。一回の走行距離はそれほど長くはないのですが、これを平日毎日走るのかと思うと頭が下がります。

誰でも「こころの風景」を持っています(番組とは関係ありません)

 番組が始まった頃は道中出遭う地元の人々も「こころ旅」という番組だとは知らず、火野さんを見て『どこかで見たことのある顔だな』という反応が多かったと記憶しています。最近ではすれ違う車から手を振られ、立ち寄る先ではぞろぞろと見物人が集まってきて握手攻めにあっています。かなりの人気番組に成長したみたいです。

 長年日本全国を自転車で旅してきて、事故がないというのも素晴らしいことです。安全確認、一時停止、手信号などなどしっかりとした安全動作を心がけています。小学校の交通安全教育でも番組映像を使って欲しいくらいの内容です。大雨の日、強い季節風の日、猛暑の日、どんな日にも走り続けてきたことも驚異的です。自分だったら『今日は止め!』と予定を変更してしまうでしょうが、撮影のスケジュールは簡単には変えられないのでしょう。本当にお疲れ様です。

 視聴者の思い出を読み上げる火野さんの朴訥とした声、投書してくれた視聴者へ『来たよ』と最後に語りかける声の優しさがこの番組の魅力だと思います。火野正平さんなしに「にっぽん縦断こころ旅」は成り立ちません。還暦過ぎても若い女性に無意識に惹きつけられる火野さんであれば、あと三十年くらいは全国を旅していけるでしょう。これからも頑張ってください。応援しています。

初めての場所を訪れるのは楽しい(番組とは関係ありません)



最近は辛くても文句の少ない火野さんです


 最近の放送を見ていると気づくことがあります。以前ならボロクソに文句を言い出すような場面でも、あまり出てきません。むしろそんな状況も含めて楽しんでいるようにさえ見えます。急な上り坂でも、長くて高い橋を渡るときも、一応文句らしい言葉は聞かれますが、その顔はなんとなく楽しそうです。

 番組が始まって既に5年目に入りました。火野さんもいよいよサイクリストの喜びに目覚めたのかもしれません。見ている方もますます楽しくなってしまいます。火野さんの成長を見ながら自分ももっと頑張らなくっちゃと気合を入れています。

(2015年10月20日追記)


え〜、火野正平ってやっぱり歌手だったん?


 放送500回記念の火野正平コンサートをBSでやっていました。本物の池田綾子さんを見たのも初めてですが、火野さんが生バンドで歌っている姿も初めて見ました。とってもいいですね。年輪を重ねた火野さんの声に数々のサイクリングシーンが浮かび上がってきます。なんだか火野さんのアルバムが欲しくなってしまいました。

(2016年1月2日追記)